2011年6月
ここ黒部は、梅雨本番です。皆さんいかがお過ごしですか?一端雨が降ると、バケツをひっくり返したようなドシャ降りになってしまいます。
今回は生地再発見・阿弥陀堂地区です。町内会長は、今年新しく会長になられた黒部邦彦さんです。黒部さんは新治神社や月見の池を綺麗にしようと清掃などボランティア活動をされておられます。そのおかげで月見の池も綺麗になり、清水も復活できました。
黒部さんに阿弥陀堂の見どころをお伺いしたところ「やっぱり阿弥陀堂の西の宮と阿弥陀堂の石仏かな」と。生地にはえびす祭りという古いお祭りがあります。大漁と安全を祈願する祭りで、ここ阿弥陀堂の西の宮で執り行われます。(百選あれこれ・とやまのお祭り百選参照)今年は7月30日~31に行われます。(イベント参照)皆さんはまず阿弥陀堂の西の宮をお参りしてからお祭りを楽しんでくださいね。
阿弥陀堂の石仏(石仏コース参照)は、子供が多かったころは、地蔵尊祭りとして子供たちが神輿を曳いて各家々を回る一大イベントでした。その時の写真が阿弥陀堂の公民館に飾られてあります。今は公民館でお年寄りの追善供養が行われるだけですが、地蔵様を大切にする気持ちは変わっていません。生地には石仏コースもあり、それぞれの云われを聞きながら回るのも楽しいです。次回は神明町です。
顔寄せて清水の夏に口を貸す とおる
黒南風やがん木の下で鰈焼く 節子
清水の心地よい音が小路のあちこちから聞こえ
町を歩く人の心と喉を潤しています。
寺清水ぷくりと5月の息を吐く 紀子
戦没碑汗ばむ数珠に磯の風 節子
蜃気楼立つや何かを見失う 菊枝
日に透けて風に梳かれて麦の秋 憲子
先日浮玉の網掛けを漁師さんに教えていただきました。
浜納屋の2階で海を見ながら
プラスチックに取って代わられてすっかり今は使われなくなった
ガラス玉にベテラン漁師のゴツイ手で魔法のように仕上げられる
「浮玉の網掛け」不思議な世界でした。
舫い結びやっと覚えました。
もう皆さんご存知の方も多いと思いますが、今回は四十物昆布さんにお邪魔しました。四十物と書いて「あいもの」と呼び、昔は間の物とか相の物と書いて、生物と硬い干物との間の干物のことを言っていたそうです。私達ボランティアの一員であり、生地まち歩きの拠点でもあります。要予約ですが、昆布工場見学もでき、おいしいとろろ昆布のおにぎりの試食もできます。観光客の皆さんにはとても喜んでいただいています。またイケメン社長はとても話術もお上手で北海道との繋がり、昆布の説明など面白く聞くことができますよ。
富山県は昆布の消費が全国一です。お店に入ると色々な昆布が陳列してあり、昆布の香がプーンとします。特にお奨めは、羅臼昆布、煮昆布。食べ方も丁寧に教えていただき、味噌、醤油、酢に昆布を入れるととてもまろやかになりますよ。特に昆布締めは最高。最近はがごめ昆布が人気とか。水に入れて混ぜるとあら不思議!自然薯みたいに固まってしまいます。とても健康によいそうです。是非ご来店をお待ちしてます。
6月12日は、朝から色々行事がありました。まずは朝、阿弥陀堂で班ごとに防火訓練を兼ね、消火ホースなどの点検をして、新治公園で阿弥陀堂・宮川町合同の消火訓練をしました。生地は家と家がくっついている所なので、いざという時の訓練は必要です。備えあれば憂いなしですよね。実際ホースのつなぎ方、持ち方は意外と難しいです。やったことありますか?
夕方6時からは火祭り。(5月28日の大町地区の火祭り参照)夕方5時頃から小学校の子供たちが太鼓をたたきながら「火まっつりじゃあ」と言いながら町内を回ります。6時からは阿弥陀堂の秋葉社に火事にならないようお参りをします。お供え物は大根・人参・昆布・米・するめ・酒をお供えします。神主さん、町内の氏子さん、町内の役員さんが携わられ、昔から今、そして今後も受け継がれていまきす。
生地再発見第2回目は、四十物町地区です。町内会長の富山政之さんにお伺いしました。皆さんご存じの片持式旋回橋(生地中橋)がある地区です。日本初の廻旋橋はもちろんですが、四十物町の海岸は最高とのことです。トイレも近いしベンチも備えられており、どこかの公園にいるようです。釣りもよし、のんびり海を見ながら親子、夫婦、友達、恋人etcの会話を楽しんでみたらいかがですか?
以前ドイツ,ウルムからの大学教授ご夫婦が来られた時、ここから立山連峰を眺めながらギリシャのある場所に似ていると感嘆されました。くっきり見える3000メートル級の立山連峰の山並みは圧巻です。写真は夕暮れの四十物町の海岸です。素敵に撮れました。
富山町内会長のお願いですが、マナーは守って欲しい、ゴミは必ず持ち帰って欲しいとのことです。皆さん是非守ってくださいね。第3回目は阿弥陀堂地区です。今度は何が再発見でしょうね。
皆さん観光ボランティアのホームページのイベント情報に出前講座がありますが見ていただけましたか?その中に浮き球の網掛け体験コーナーがあります。今日は、近々浮き球の網掛け体験を組み込んだまち歩きツアーが行われるので、その事前準備に、私達ボランティアの講習会を兼ね練習をしました。講師の吉田隆さんに懇切丁寧に教えていただいたので、どうにか見られる格好になってませんか?
浮き球は、昔は網を浮かせるのに使用していました。今は合成樹脂に代わってしまい、そのガラス玉すらなくなってしまいました。ガラス玉を用意するのも大変なんですよ。私たちはその網掛けのやり方を残そうと思っています。今はインテリヤや、お土産として使われています。結構楽しいですよ。
生地には7町内があります。今回から7町内会長にその地区のお奨めを聞いて「生地を再発見しよう!」と思います。ちょっと難しいかもしれませんが、あまり知られていない「知られざる名所」と限定させていただきます。
第1回目は、芦崎地区町内会長・吉田允さんです。
6月3日アポなしで自宅にお邪魔しました。(アポなしは、ボランティアの特権です。)ちょうど木の剪定をされていらっしゃいました。実は私たちボランティアの一員でもあります。ご自分の子供の時の事とか色々話していただきました。
昔の越湖の浜(えっこのはま)は、白砂青松、8万坪に8000本の松が植えられており、砂地には飛行場もあり、砂山ではスキーも楽しんでいたそうです。今では想像もつきませんね。芦崎には上杉謙信手植えの松がありますが、(歴史コース参照)病気治癒の言い伝えが、実際吉田さんも経験していたそうです。昭和25年頃まで病院清水という所があり、怪我をした時はもちろん、よく水遊びをしていたそうです。昔の話を聞いていると楽しくなりますよね。
芦崎地区の吉田允さんの「知られざる名所」は「防火用水」です。生地は昔から火事が多い地域で、特に海側は水もないので大変でした。そこで清水を利用した防火用水を作り、火事から生地を守っています。現在は20か所ほどあります。このような防火用水は珍しいですよ。生地に来られたら、是非ごらんあれ。吉田さんありがとうございました。次回は四十物町地区です。
6月1日に北海道新聞社の方が取材に来られました。今回「黒部川沿いの名水」というテーマでの取材でした。この生地は黒部川湧水群の末端に位置し、清水(しょうず)の里としても知られるようになりました。
清水庵の清水、弘法の清水、岩瀬家の清水、前名寺の清水、神明町の共同洗い場と名水コースを回りました。それぞれの味の違いはもちろんですが、昔から共同洗い場として地元の人たちが活用していることに、すごく感動しておられました。
富山県は、北海道とのつながりが深く、特に生地は北方四島からの帰国者が,内地側では最も多い地域です。生地の地形は小さな岬になっており、かつ急峻な深い海を抱えています。1700年代の北前船、明治に入り帆船から代わった大型蒸気船の寄港地になりました。大きな港があまりない時代ですから、海岸まで寄せれる所は、富山県東部では生地しかなかったわけです。そして生地の漁港が北洋漁場開拓への海の駅になりました。北海道には黒部の出身の方を先祖にしている方が、大変沢山いらっしゃることから、その歴史の一端を見ることができます。開拓ルートは大きく分けて2つのルートがありました。1つは、北方四島へのルート、もう一つは樺太へのルートでした。そんな北海道との深い歴史を感じていただき、北方四島の歴史資料館も見ていただきました。